とてつもない衝撃、『夜と霧』

夜と霧 新版
本を閉じ頭を上げ目を瞑る。
まるで本書を読んでいる間一度もまばたきをしなかったかのように、目がじんと熱くなる。
口の中は乾き、その水分は手から汗となっていた。
久しぶりに大きくため息をつく。

息つかせぬほどに本書が面白かったのではない。
読中ただ呼吸を忘れるほどに、私自身生きた心地がしなかった。

本書は、アウシュビッツを経験した心理学者の主観的、客観的、物理的、精神的記録。

本書に描かれた事実について自分なりに考え、表現しようとしたところで適切な言葉など出てきやしない。
アウシュビッツを経験していないものが、己の平素の価値観、倫理観、経験に基づいてその体験を論じることは許されない・・・
そんな圧倒的な無力感だけが唯一の読後感。

私に出来ること。
それはただ幾つかの箇所を著者の言葉を借りて引用することだけだろう。



その足指は凍傷にかかり、診療所の医師は壊死して黒ずんだ足指をピンセットで付け根から抜いた。それを被収容者たちは平然とながめていた。嫌悪も恐怖も同情も憤りも、見つめる収容者からはいっさい感じられなかった。苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者。これらはすべて、数週間を収容所で生きた者には見慣れた光景になってしまい、心が麻痺してしまったのだ。

アウシュヴィッツからダッハウへ輸送されるときのこと)
わたしが子供時代を過ごしたふるさとの通りや広場や家並みが見えても、まるで自分がすでに死んでいて、死者としてあの世から、この幽霊じみた町を幽霊になって見下ろしているような気がした。これはなまなましい感覚だった。

価値はがらがらと音をたてて崩れた。----この没価値化は、にんげんそのものも、また自分の人格も容赦しなかった。---人間の命や人格の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意志などもたない、絶滅政策のたんなる対象とみなし、この最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用しつくす搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気、こうした雰囲気のなかでは、ついにはみずからの自我までが無価値なものに思えてくるのだ。

生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなんにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましい限りだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。
「生きていることにもうなんにも期待がもてない」
こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。


この様な環境の中で著者が辿りついたかんがえ。
収容所を生き抜くためには生きる意味を見つけねばならない。
己の生の意味が崩れていく中で、最後の一点をもってなんとか自己を保つためには。
この本を手にとり、自身の目でそれを確かめて欲しい。