二十世紀の世界を振り回した巨人『賃労働と資本』

賃労働と資本 (岩波文庫)
きわめて挑発的。
この挑発にのったのが二十世紀だったんだな・・・

身近な問題から出発して、価値決定の法則を明らかに・・・
というのが表向きのキャッチフレーズ、が読めば読むほど資本主義を糾弾しているようにしか聞こえてこないのは、僕自身が「資本家」には属していないからか?

彼の文章はクールで論理的。
無機質に説明することで逆に、一つ一つの言葉が激烈な労働者へのメッセージの様に聞こえてくる。

自給800円くらいのつらいバイトをしたことがある人は、その時を思い出しながら以下を読んでみて欲しい。

たとえば、こんな感じだ。


「労賃は、労働者によって生産された商品における労働者の分け前ではない。労賃は資本家がもって一定量の生産的労働力を買い取るべき、既存の商品の一部分である。」

つまり、頑張ったからといって上昇した収益の一部が君のものになるわけではないってことだ。

「労働力の価格はいかにして決まるか?労働力そのものの生産費によってである。」

ポップコーンを作るのに、トウモロコシが必要だ。
トウモロコシの値段は生産費で決まる。
同様に、君の値段は君の生産費だ。

「労働力そのものの生産費は何か?労働者の生存=繁殖費である。」

「個々の労働者は生存繁殖しうるだけ受け取っていない?個々の個人ではなく労働者種族に当てはまる。全労働者階級の労賃は総体としてこの最低限に一致する。」

君がたとえばもし働けなくなっても困らないかって?
君のような労働者が全員いなくなったらその時は困るなぁ。

「労働能力以外に何も持たない一階級の生存は、資本の必要な一前提である。」

だから、君じゃなくてもいいが君のような階級の人たちがある程度いてもらわないと困る。
君のような階級が生存し続けられる程度には賃金を払うよ。


こんな感じだ。
あくまでマルクスの主張は「 」の中で、
その下は僕のうがった読み方だ。
しかしながら、当時そして今日でさえこのような読み方をし反資本家精神を逞しくする人が少数でないことは容易に予想できる。
そしてそれは歴史の中に、報道ステーションの中にしばしば見られる。