宣伝文句通り、二度読まずにはおられない恋愛小説『イニシエーション・ラブ』

イニシエーション・ラブ (文春文庫)
「この声。なんか、イメージと違うなぁ・・・」

漫画がアニメ化された時に、
誰しも一度くらいは経験したことがあるはず。
これは無意識のうちにキャラクターに声を与えているから。

おなじ事が小説にも言えるが、小説の場合は声だけじゃない。
主人公の部屋に自分の部屋を重ね、
ヒロインには密かに想いを寄せる人を重ね、
終いには

小説のオチにまで、自分好みのオチを押し付けている。

この本にはヤラレタ

人間は面白い物語が読みたいんじゃない
物語を面白いと感じる様に読みたいだけなんだ

本書はこの人間の性を巧く利用している。
舌を巻くほど上手に。

義務教育でならったよね。
「あなたの考えじゃなくて、著者の考えを読み取りなさい」って。
それが国語力だって。

安心していいゾ。
本書は国語力のない奴ほど楽しめる。
そしてラスト二行。
普通の恋愛小説から一気に魔法で捻じ曲げられたような世界へ誘い入れてくれる。

「ほらね。あなたが如何に見たいものしか見てないかわかったでしょ。」
ニヤリとしている著者の表情が思い浮かぶ。

もちろん、その著者の顔も僕の勝手なイメージだ。

人類13000年の鳥瞰図『銃・鉄・病原菌』

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
世界の歴史といえば西洋史しか思い浮かばない人は自らの浅学とそれに端を置く偏見を恥ずべきだ。
その特効薬として本書ほど面白く刺激的なものはない。
しかし、世界史=西洋史となってしまったことも無理はないのである。

歴史とは常に「勝者により書かれ、支配者により伝えられるもの」だから。

では、そもそもなぜ、ヨーロッパが世界を支配したのか。ここにこそ本書の問題意識は始まる。

その先の論旨の展開はコンサルなんかで見かける問題解決のアプローチのお手本。
大きな問題を具体的な小さな問題に分解し一つ一つ解決、その中で現れる新しい疑問こそが当初の問題の本質的要因となっているという発想だ。
本書の主題に当てはめればこんな感じだ。

ヨーロッパの支配を可能としたものは何か。

<疑問>
コルテスに始まるヨーロッパと「新世界」との邂逅。
スペインがアステカ帝国に長じたのはなぜか。

<要因>
1.スペイン側には騎馬隊を中心とした機動力があった。
2.スペイン人には数多の病原菌に対する抗体があった。
3.スペイン側には鉄製の強力な武具があった。

<結果>
これらがスペインの勝利を決定付けた。

<疑問>
なぜ騎馬隊、抗体、鉄を持っていたのはスペインであり、その逆ではなかったか。

<要因>
1.病原菌に対する抗体を人間に与えたのは家畜と集団生活である。
2.鉄に代表される文明の発生にはある程度の人口密度が必要である。

<疑問>
どの大陸にも先んじてユーラシア大陸で集団生活が始まったのは何故か。

<要因>
1.家畜可能な動物が多く棲んでいた。
2.栽培可能な植物が多く自生していた。
3.そしてそれらが他の大陸とは比較にならない速さで伝播していった。

<疑問>
それは、なぜか



という、結論に至るための帰納法が回り続ける。

「ヨーロッパの支配を可能としたものは何か。」
この問に対する究極的な解答。
それは是非自身の目で確かめて欲しい。

人間と獣とを隔てるもの、その薄さ『ミノタウロス』

ミノタウロス
近代以降、思想だとか、なんとか主義こそが時代の本流であって、個々人はその流れに流され溺れ死なぬように必死にもがくノイズのようなものと思っていた。
だから、歴史やら哲学やら経済理論やらを必至こいて勉強していた。
そんな私をさらりと嘲笑してくれたのがこの本。
見渡す限りの大地。斜陽を受け空が、大地が、世界が朱色に染まる。そんな美しい景色だけを強烈に残して。
(そう、まさにこの本の表紙の様な)

1917年のロシア革命により失墜した、とある貴族の最後の若者の物語。

幼き頃より高い教育を受けてきたヴァシリ。
しかし、故郷を追われ盗賊さながらの生活を送る中で彼は気付く。
赤軍(革命派)やら白軍(皇帝擁護派)やら何やらと、もっともらしい旗印の下で争いが絶え間ない。
が、根本的にあるのは獣性であり、他には何もないということを。
違うのは、あるものはライオンであり、あるものはシマウマであり、自身はハイエナであることくらいだ。
しかし、悲観に暮れるどころか彼は言う。

「何者でもないということは、何者にでもなれるということだ。」

加えてこう言う。

「単純な世界は美しい。-----人間と人間がお互いを獣のように追い回し、躊躇いもなく撃ち殺し、蹴り付けても動かない死体に変えるのは、川から霧が漂いあがるキエフの夕暮れと同じくらい、日が昇っても虫の声が聞こえるだけで全てが死に絶えたように静かなミハイロフカの夜明けと同じくらいに美しい。」

いとも容易く獣に落ちるような曖昧な人間と獣との境界線。
その中で、人間を人間っぽく見せているものは何か。

伸びたラーメンみたいな小説が出回っている処で、
久々にコシのしっかりしたざる蕎麦を一気に味わった気分。
あとからじっくり満腹感が訪れる。

一人の老婆に二十世紀の悲劇を見る『オリガ・モリソブナの反語法』

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)
キタ。疑う余地なく、今年一番の大収穫。
米原万里本は何冊も読み、その都度「これぞ最高傑作」と思ってきた。
しかし今回はちがう。
「ゼッタイにゼッタイにこれが最高傑作」
小学生的に言えば「超スーパーウルトラミラクルハイパー、傑作」。

1960年のプラハ
物語は老婆オリガ・モリソヴナの賑やかな登場から始まる。
八十歳のようにも見えるのに本人は五十歳と豪語、魔女のように恐ろしげな顔をし、

「他人の掌中にあるチンボコは太く見えるんだよ!」
(隣の芝は青いの意)

「牝豚に跨ってから考える虚勢ブタかね?!」
(後悔先に立たずの意)

などと濁声で罵っている。
しかし、そんな彼女の後ろ姿は完璧な流線型、その踊りはまるで妖精が如き壮麗さ。
まさに顔と声がなければ絶世の美女。

粛清の嵐吹き荒れるスターリン体制下のソビエト、激動を生きぬいた彼女の過去を求め志摩はモスクワへ飛ぶ。

何故、彼女はプラハにいるのか。
何故、彼女はかくも美しく躍るのか。
そして、何故、彼女は一切を反語法をもってアイロニカルに語るのか。

その謎が一つ一つ解けてゆく毎に、彼女の九十年の人生と、世界大戦と冷戦に翻弄された世界の歴史が見えてくる。

ぜひ読んで欲しい、なんてお願いしない。
今すぐ読め!忙しい?
飯食いながらでも、寝ながらでも、エロゲーしながらでも、仕事しながらでも、数学しながらでもいいから読め!
安心しろ、飯と睡眠とゲームと仕事と数学するのすぐ忘れるから。

とてつもない衝撃、『夜と霧』

夜と霧 新版
本を閉じ頭を上げ目を瞑る。
まるで本書を読んでいる間一度もまばたきをしなかったかのように、目がじんと熱くなる。
口の中は乾き、その水分は手から汗となっていた。
久しぶりに大きくため息をつく。

息つかせぬほどに本書が面白かったのではない。
読中ただ呼吸を忘れるほどに、私自身生きた心地がしなかった。

本書は、アウシュビッツを経験した心理学者の主観的、客観的、物理的、精神的記録。

本書に描かれた事実について自分なりに考え、表現しようとしたところで適切な言葉など出てきやしない。
アウシュビッツを経験していないものが、己の平素の価値観、倫理観、経験に基づいてその体験を論じることは許されない・・・
そんな圧倒的な無力感だけが唯一の読後感。

私に出来ること。
それはただ幾つかの箇所を著者の言葉を借りて引用することだけだろう。



その足指は凍傷にかかり、診療所の医師は壊死して黒ずんだ足指をピンセットで付け根から抜いた。それを被収容者たちは平然とながめていた。嫌悪も恐怖も同情も憤りも、見つめる収容者からはいっさい感じられなかった。苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者。これらはすべて、数週間を収容所で生きた者には見慣れた光景になってしまい、心が麻痺してしまったのだ。

アウシュヴィッツからダッハウへ輸送されるときのこと)
わたしが子供時代を過ごしたふるさとの通りや広場や家並みが見えても、まるで自分がすでに死んでいて、死者としてあの世から、この幽霊じみた町を幽霊になって見下ろしているような気がした。これはなまなましい感覚だった。

価値はがらがらと音をたてて崩れた。----この没価値化は、にんげんそのものも、また自分の人格も容赦しなかった。---人間の命や人格の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意志などもたない、絶滅政策のたんなる対象とみなし、この最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用しつくす搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気、こうした雰囲気のなかでは、ついにはみずからの自我までが無価値なものに思えてくるのだ。

生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなんにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましい限りだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。
「生きていることにもうなんにも期待がもてない」
こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。


この様な環境の中で著者が辿りついたかんがえ。
収容所を生き抜くためには生きる意味を見つけねばならない。
己の生の意味が崩れていく中で、最後の一点をもってなんとか自己を保つためには。
この本を手にとり、自身の目でそれを確かめて欲しい。

欲、最大のそして唯一の原動力『虎よ、虎よ!』

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫) [ アルフレッド・ベスター ]
公徳心、好奇心、信仰心に自己顕示欲。。。

人をかき立てる動機は様々あるが、
あなたを突き動かしているのはなんだろうか?

本書は復讐心こそを最大の、そして唯一の原動力とした男の物語。

圧巻は男の変化の様。
胸のうちでは一層の復讐心を燃え滾らせながら、
その言動は知的に紳士的に洗練されてゆき、
果ては神性すら帯びてゆく。

粗野で陰険な暴力が余りに強大な力を得た時、
相手のあまりの瑣末さに哀れを思う。
これが神の慈愛の起源なのではないだろうか。
そんなことをふと思った。

小説のように生き生きした歴史書『フランス革命史』

フランス革命史〈上〉 (中公文庫)
本を開くといきなり80ページの解説by訳者。
だりーなーと思いながらも読んでみると、どうも様子がおかしい。
解説のクセに妙におもしろい、ワクワクする、早く本編が読みたくなる。

『オィオィオィオィ
もしかしてこれ大物じゃねぇの?????』
という期待がムクムク膨らんでくる。
はちきれんばかりの高揚感と期待を本編は受け止めてくれる。
予感は的中。

ルイ16世が、マリーアントワネットが、ミラボーが、ロベスピエールが・・・
生きている。
しかもピチピチと。

しかし彼らは主人公じゃない。

もっとビンビンな奴等がいる。
人民である。
そう、本作品の主人公は人民。
表紙の絵を見てもらえば如何にビンビンかが伝わってくるだろう。

まさに「活写」とはこの本の為にあるような言葉。
これほど躍動感に満ちた歴史書は稀。

カエサルによって可能な限り客観的に書かれた歴史書が『ガリア戦記』であるとすれば、
ミシュレによって可能な限り主観的に書かれた歴史書が『フランス革命史』
そのあまりのコントラストが面白い。

歴史を紡いでいく際には、事実、とりわけ客観的事実なんてものが重んじられているわけだが、結局どこまでいっても客観的事実を最後に繋ぎ合わせるのは想像力。
ならばこそ強力に想像力をかき立てる本書の様な本こそ、歴史を作ってきたと言っても過言ではないかもしれない。